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夜這いについて - えっち膳屋

夜這いについて

夜這いa

みなさん、夜這いしたことありますか?
友達の夜這い話とか聞いたことありますか?

私の生まれは地方の田舎なので、娯楽施設もほとんどなく、皆中学生ともなると性的なことにやたら興味がわいてくる。
とはいえ、一部のものたちを除いて性的行為を体験することもほとんどない。

これが高校生ともなると、ぼちぼち行動にうつす連中がでてくる。
夜這い体験者も少数派ではあるが出てくる。
他人の夜這い話に尾ひれがついたりして耳に入ってくることもある。
その話を聞いて股間を押さえたものである。

夜這いとして許される範囲はどこまでなのか?
男女合意のもとで女の家に忍び込む。これも夜這い。
合意ではないけれども、仲のよい女友達の家に忍び込む。この辺はグレーゾーン。
話したこともない女の家に忍び込む。これはアウト。


昔の農村部では夜這いが村の風習として、公然と認められていた。という話は有名である。

1979年「戦国自衛隊」という角川映画があったが、ここでも夜這いシーンが出てくる。
いくさ前夜、村の後家さんに話がついているということで、自衛隊員3人が夜這いに出かける。
すると敵方の雑兵3人と鉢合わせをしてしまう。

しかし争うこともなくジャンケンで順番を決める。

そして、翌日の合戦最中、夜這いに行った隊員が戦車に乗っていると、昨夜の敵方雑兵の一人(佐藤蛾次郎 )が戦車に取り付いて窓から中を覗き込んできた。
「アッ!」、「あっ!」
お互いに笑い合い、佐藤蛾次郎は戦車から離れていく。

自分が同じ立場でも、一緒に夜這いをした相手とは戦いたくないだろうなあと、当時思ったものです。
それほど、性的なことは、何かの垣根を越えたところに存在しているんだろうなあと思わされます。

で、昔の夜這いについてネットを探ってみました。
夜這いab

出展:週刊SPAより

村八分と並び、かつての農村の掟としてよく語られるのが「夜這いの風習」だろう。
各地方の夜這いの取材を続けてきたフリーライターの石川清氏は言う。

「伝統的な夜這いは、私が知っている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのがほぼ最後でしょう。
日本では今ではほとんどみられなくなりましたが、昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくありません」

例えば九州北部のある集落では、元旦の除夜の鐘が鳴り終わる頃に、老人、若者、子供が裸で神社の境内に集い、年に一度の“性の無礼講”に発展することも多かったという。
また別の集落では、神社の祭りの日に近所の男女が行き合って、知る知らぬにかかわらず、情を通じ合ったとか。
なかには新聞沙汰になったケースもあり、戦後しばらくこの風習は続いたという。

「本州の太平洋側や沖縄などでは、女性が15、16歳になると、村の男の夜這いを受けやすくするため、家の表に面した部屋にわざわざ住まわせた地域があった。
また中国地方では、初潮を迎えた娘の初めての性の相手として、裕福で人望の厚い年配の男性に手ほどきしてもらう慣習もあった。
紀州では、娘が13、14歳になると 、年配者に頼んで“女にしてもらう”、一種の性教育の慣習があった。
この時、娘の親がお礼に相手となった老人へ米と酒と桃色のふんどしを贈ったそうです」

一方で、飢饉のときには、娘や妻を食糧と引き換えに、村内の人間等に差し出す風習も近年まであったのでは、と石川氏は言う。

「中国地方や北関東、信州などの山間の村はずれには『助平屋敷(岡山)』という、博奕や酒食を手軽に楽しむ場所があり、自分の女房や娘までも博奕のカタにして、負けた相手の女房らを屋敷裏に連れだして手軽に性欲を満たす習慣も昭和初期までありました」

現在では考えられない風習が、かつての日本には存在したのだ。


「知恵袋」にも実に興味深い話がありました

大正末期から昭和初期の夜這いについて。
長野県下伊那地方の老人クラブが、一人一話で文集を残しています(昭和53年発行)
その中に、夜這いについてもいくつかの話が書かれています。

・初めての夜這いは心臓がドキドキして体が震えた。途中でひき返したことも何回かあった。一度娘の寝間まで行ければ、あとは もううまくいく。

・情報交換は沓小屋(若衆宿のこと)で話られた。どこの家に何才の娘がいるか分かっているので皆で出かけた。男は16才(満 年齢で14才~15才)で夜這いを始め、娘は14才(12才~13才)で受け入れ始めた。

・夜這いは、行き当りばったりのこともあり、約束して行くこともあった。約束は、話をして今夜行くと予告することもあったが、昼間 目と目が合えば気持が通じた。目と目で、九分九厘話がついた。

・夜這いは「呼ばう」からというが、実際は「夜ばう」である。夜の何も見えない真っ暗闇の家の中を、音も無く這うようにして手探り で進む。
夜這いが上手になると、暗闇で何も見えなくても息や匂で両親・姉・妹を区別できた。

・夜這いが来ない娘がいると、うちの娘にはなぜ来ないのかと両親は心配した。どこの親も夜這い経験者であるので、娘に夜這いが来なければ娘に何か問題があるのか心配した。

・せっかく苦労して娘のところに忍び込んでみたら、先着者が娘の腹の上に乗っていたこともある。腹が立って、先着者の履物を隠して来たりしたこともあった。

・逆夜這いもあった。夜這いされているうちに娘の方が熱をあげ、男の方に通い出す。「○○よいとこ おなごの夜這い、○○さ後生 楽寝て待ちいる」と歌ったが、あれには往生した。逆夜這いを「さげ重」と言った。

・「嫁とり」もあった。夫が留守の時、嫁さんのところへ夜這いする。夫が留守中ということも村中で分かったが、嫁さんが家の外に洗ったおひつ(ごはん収納容器)を干して、今晩どうぞという合図をしてくれた。


悲しい話もあった― 。

昼間、娘は好意を寄せている若者と今夜の夜這いについて、約束の指きりをした。
夜、娘は胸をときめかせて待っていると男が来て腹の上に乗った。
娘はすべてを許しまどろんでいると、また男が来た。
腹の上の男は風のように消えた。
暗闇の中で男を間違えたのである。
あとから来た男が好意を寄せている彼だった。
若者は怒り、約束しておいたのにと彼女を責めた。
娘は悲しんだ。
娘は、失意のうちに遠い村に嫁にいった。
若者も失意のうちに出征し、やがて戦死した。

やがて・・・
夜這いの風習は電気が引かれ、家に電燈が明るく灯るとともに、ピタリと終わった。


夜這いOKのところに住んでいると、楽しいだろうか?
夜這いの風習が当たり前のところに住んでいれば、そんなものとして行うのであろうが、今のわれわれの価値観からすると、やきもちとか、色々めどくさそうなことも起こりそうだ。


最後にwikipediaから引用。
概要
大正時代まで農漁村中心に各地で行われていた習俗。
戦後、高度成長期直前まで、各地の農漁村に残っているところがあった。
明治維新の近代化や農漁村への電灯の普及などにより明治以降は衰退する傾向にあった。
このため、明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落中心であった。

多くの場合男性が女性のもとへ通うものだが、女性が通う風習を持つ地域もあった。

婚、嫁、結婚などの字を古くは「よばふ」「よばひ」と呼んだ。
これは「呼ぶ」の再活用形で「つまどい」「つままぎ」などの語と共に求婚のために男が女のもとに通うことを意味した。
昔の婚姻は結婚後も男が女のもとに通うのが普通であり、このことも「よばい」と言われた。

この行為は相手の合意があって初めて成立する慣習だが、中には強姦・婦女暴行という強行犯罪にあたる行為も差す場合がある。

古代日本の夫婦関係は妻問い婚であり、男女はそれぞれに住んでいて妻の元へ夫が通ってゆく形態であった。結婚というのは、家族に隠れてこっそりと夜這いを行うのではなく、堂々と通えるようになることを意味した。
そもそも各地の共同体(ムラ)においては一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚、夜這いは当たり前であった。

かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉が聞かれることがあった。
近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女や人妻の取り扱いなどがあり、この辺りの細かい点は地域によって差がみられた。

江戸など都市部では、村落と違う形に発達していった。
これが、夜這いの衰退に繋がったと考えられるとする見方がある。
1876年(明治9年)、現在の新潟県(相川県)で、夜這いを禁止する法律ができた。
1938年(昭和13年)に起きた津山事件について、大阪毎日新聞が「山奥にいまなお残されている非常にルーズな男女関係の因習」と報じ、サンデー毎日が「娯楽に恵まれない山村特有の『男女関係』」と報じるなど、夜這いは否定的に見られるようになっていった。

ブータンには「ナイトハンティング」という文化で夜這いが定着しており、特に地方の男子は15歳前後になると兄弟や従兄に誘われて夜這いにいく。
(管理人・注 これはいまでも行われているらしい。)



民俗学の研究
赤松啓介の『夜這いの民俗学』(1994年)によると、夜這いについては、時代や地域、各社会層により多様な状況であり、共同体(ムラ)ごとの掟に従う必要はあったが、夜這い相手の選択や、または女性側からの拒絶など、性的には自由であり、祭りともなれば堂の中で多人数による「ザコネ」が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていた。
ただしその共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもあった。
赤松によれば戦争その他などで男の数が女に比して少なかったことからも、この風習が重宝された可能性があるという。
また明治以降夜這いの風習が廃れたことを、夜這いと言う経済に寄与しない風俗を廃して、各種性風俗産業に目を向けさせ、税収を確保しようとする政府の意図が有ったのではないかとしている。
なお、日本の共同体においては、少女は初潮を迎えた13歳、または陰毛の生えそろった15 - 16歳から夜這いの対象とされる(ただし、婚姻中は対象外となる場合もある。この辺りは共同体により様々である)。
その際に儀式として性交が行われた。
少年は13歳でフンドシ祝いが行われ、13歳または15歳で若衆となるが、そのいずれかの時に、年上の女性から性交を教わるのが儀式である。
その後は夜這いで夜の生活の鍛練を積む。
赤松は明治42年(1909年)兵庫県の出身であるが、この当時はまだフンドシ祝いが残っていたと言う。
適当な相手が見つからない場合、実父や実母がその相手を務める場合もあった。
日本の共同体では夜這いの前に以上の如くの性教育が行われた。
ちなみにこの様な次第であると当然、赤ん坊が誰の子であるのかよく解らない、などと言った例がよく見られたが、共同体の一員として、あまり気にすることなく育てられた。

柳田國男は「淫風陋習」とした。

小谷野敦は、自著『江戸幻想批判』で夜這い文化の美化を批判し、夜這い文化は、純潔文化とは違った形であれ、オスのメスに対する一方的・支配的な性行為が組み込まれた文化であり、夜這いには、強姦や半強姦(デートレイプ)が多く含まれていたことを指摘している。
決して「男女平等のフリーセックス」ではなかったことを述べている。


脚注
赤松 (1994) では、娘、嫁にとどまらず、後家、嬶(カカァ)、ババァなどの表現もあり、少年同士が互いの母親の「味」について語り合う事例や、娘が母親の夜の相手を引っ張り込む様な事例も紹介されている。

なお、赤松は『夜這いの民族学』 (1994) において、自身の出身地と非常に近い土地を出身地としている柳田國男が夜這いについて知らないわけはなく、この風習について多くを著していないことについて、何らかの思想的・政治的理由によりこれに触れたくなかったのではないか、などと、柳田を批判している。

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